真夜中にわき上がるハレルヤ

無軌道という方向性

ワールドトリガー ジャンプ漫画の新しい方向性 弱い主人公

 この世界と異世界の仲立ちとなり、その間をつり持つ組織ボーダー。異世界の住人ネイバーの中でも、好戦的に攻めてくるボーダー隊員たちが切磋琢磨して対処していくストーリーである。

 


 バトル物だが、今までのものとは少し違う、ジャンプ漫画の新しい形だと思う。それはなぜか?主人公オッサム(王子談)が弱いのだ。

 

 少し違う、の少しという表現の理由は、主人公の弱さをフォローするように、空閑 遊真とトリオンモンスター雨取千佳という仲間の存在があるからだ。フォローはあるものの、バトルが単なる個人の強さより、チームの戦略、個人の戦術、敵味方それぞれの相性、地形、気象など、さまざまの要因を考慮した、人間らしい(?)知的な戦いが求めれたれる。作戦がうまく決まったり、読者側の予想をうらぎって、(読者が)思考の外からせめられると、なんだかぞくっとするわけだ。

 

 個人の強さがまったく無視されるということはないが。主人公がぶっ飛んだ強さで圧倒することは今のところない。個人ではいくら強くても、統率の取れたチームと、うまい作戦には、基本的にかなっていない。仲間と協力し、自らの至らなさを努力で埋め、勝利にいたるという、ジャンプのキャッチフレーズ努力 友情 勝利にようやくのっとった漫画なのではないか。  

 

 絶対強者的は、迅さんとか、天羽とかいるにはいるが、今のところ、あくまで賢者的に主人公たちを導いていくキャラクターで収まっている。

 

 もうひとつの特徴として、当たり前だが、ボーダーの内でのライバルが、ネイバーと戦うときは味方という強い敵が、味方になるときの心強さ、頼もしさがある。今のところ主な戦いは、ボーダー内でランキング戦で勝ちあがり、ネイバーへの挑戦権を得ることだから、 外部からの敵と戦う場面は少ない。だからいざネイバーと戦うとなったときに、ボーダーの仲間と共闘するのは帰って新鮮だったりする。

 

 もうひとつ気になったことは、この発想はどこから来たのだろうということだ。

 銃で攻撃されないように建物の陰に隠れるなどすることを、射線を切ると表現されているが、この言葉はどれほど一般的なのだろうか?私はこの言葉をこの漫画で始めて知った。また、ワールドトリガーの中で登場する、予想外の作戦を考えるにしても、下敷きになるような知識が必要だと思うのだけど、作者はなにかサバイバルゲームのようなものの経験者なのではないだろうかと考えた。ボーダー内でのランキング戦という訓練を見ていると、そんな感じがする。

 

 今後オッサムが強くなる可能性がないはけではないが、それには圧倒的成長が必要となり漫画の方向性としては、ややブラックになるので、やめてもらいたいと思う。予想を覆す展開が用意されているなら、その限りではないけど。

漫画 アウトプットレビュー  『天地明察』 いっき読み推奨 現代とシンクロする江戸時代

 江戸時代の実際の人物がモデルなっていて、名前は安井算哲(やすいさんてつ) 別名 渋川 春海(しぶかわ はるみ、または、しぶかわしゅんかい)。人生を数学と暦と天文にかけた囲碁棋士であり、歴史を塗り替えた渋川春海、個人としての物語。槇えびしという漫画家をはじめて知りましたが、描き方が巧みで、お世辞抜きに、素晴らしい作品でした。全九巻。

 

 原作は沖方丁うぶかた とう、おきほうちょうではない)の小説天地明察(上) (角川文庫) 天地明察(下) (角川文庫)で、岡田准一主演の映画にもなった。

   

 渋川春海は、徳川幕府お抱えの囲碁打ちの専門の家元に生まれ、安井家の二代目当主で、幼いころから囲碁の神童と呼ばれ、数学、天文学、暦学、神道などさまざまな学問を学びながら育った。

 

 京(京都)生まれで、春と夏は京で過ごし、秋から冬にかけて江戸でお城に奉公という、でに行ったりして生活していた。天文観測もはじめは、まったく趣味的なものだったようで、実に楽しそうである(実際は知らないが)。挫折の多い人生だったようだが、囲碁を打ち、学問をし、人に恵まれ、偉業を成し遂げ、結構いい人生ではないか。と思うのは私だけではないのではないか?

 

 徳川家に仕える囲碁の家元というエリートでありながら、さまざまな学問に通じ、数学と天文学の趣味が高じて、暦まで作っちゃったすごい人。といえなくもないが、関 孝和をはじめ、ほかにも学問に長けた人は渋川春海以外にもいたわけである。なぜ渋川春海なのか?なぜ必要になったか?物語を前半広範に分けるとすれば、このあたりからが後半で、話の肝にもなってくる。

 

 囲碁棋士としての安井算哲は、将軍の前で、対局を見せる上覧碁という御城将棋(おしろしょうぎ)や、お偉方相手相手や、あちこち招かれて指導碁を打ったりして、囲碁の普及に努めたりすることだった。ライバルには、歴代本因坊(ほんにんぼう、ほんいんぼう)の中で特に特に名人とたたえられる本因坊道策(どうさく)がいた。

高度な数学 明察と暦について

  天地明察の明察とは物事の心理を見抜くことである。安井算哲たちが数学問答をして、正答をすると、明察。と使われている。

 

 数学は和算と呼ばれ、庶民の娯楽としてあるいは数学道とも言える、ものごとを究めるためのひとつ道であった。そして江戸時代を通して高度に発達している最中だった。同時に、和算はクイズやパズルのようなもので、競技的な側面もあって、大いにはやった。春海もある意味では普通の人だった。数学でのライバルは、世界的な数学者、関 孝和がいて、渋川を囲む人間の層の厚さが伺える。

 

 江戸時代初期に日本で公式に使われていた暦は9世紀の唐でできた宣明暦だった。外国の800年の前の暦といわれれば、今の感覚で考えれば、誤差がすごいことになっているだろうなと当然想像がつく。誤差は現実と2日ずれていた。春海たちは、暦を作るために、天と地の理を知る必要があった。

暦作りとは時代つくり

 それじゃあ、今までの暦は間違っています、正確な暦を作りました、といったところで、当時暦を作ることは帝や朝廷、陰陽師たちの野専門分野であり、自分たちの権威が危うくなる。利害関係者もたくさんいる。武士である春海が、改暦することは、抵抗は大きい。

 

 逆に言えば、リターン大きなものが期待できる。

 

 暦づくりの必要性大げさではなく、新しい時代を作ることに他ならなかった。社会的に、世の平和のために、大きな意味があって『2日のずれ』以上の必要性に迫られたものだったということ。それに気がついたのが、この『天地明察』では会津藩保科正之となっている。実際の保科公も、名君でだったようで、史実かもしれない。

 

 レビューするにあたって、もう一度ざっと目を通してむると、この漫画、タイムリーなんじゃないかと思ったのでした。江戸時代同様に、何か新しい変化が必要な現代。今の『大和暦』あたるものは何かと、考えてみた。

まとめ

 渋川春海が登場する文学作品はいくつかあり、いろいろな絵がかれ方をするのだろうが、この天地明察では、飄々としたキャラクターで描かれていて好感がまてます。物語の前半はストレートな青春もの。後半は込み入っていきながら、どんどん展開していくので、中だるみがなく、描き方が巧みで、読み疲れしませんでした。  

 

 囲碁とか、算術とか、暦つくりとか、はたまた政治の話とか、完全に理解しようとするのは、骨が折れるけど、わからなくても、ストーリーを追うには、特に問題なくすっと入ってくる。物語は、途中息切れすることもなく、最後の最後まで上り続けてのエンディング。読後感が本当に素晴らしいんですけど!!!